手を胸元まで引き寄せ閉ざされた扉に向けて軽く振り下ろす、つもりだったのだが。
「おかえりなさい、ギンコ」
寸でのところで叩くはずだった扉が大きく開かれ、にこやかに笑うにごく自然に出迎えられた。
用を成さなかった手はしばらく宙で動きを止めたまま、思考回路すら一瞬その働きを停止する。
だがは、喜びこそすれ突然の来訪に対する焦りも驚きすらもないようで。
まるで当然の如く受け入れられた状況に安堵よりも不安が先に立ってしまうのは、やっぱり職業柄なのだろう。
「、もしかしてお前…」
「え?」
「ぼーっとして意識がどこかに行っちまうようなことはない、よな?」
「う、うん」
知らず詰問染みた口調に、初めて驚いた表情を見せたは困惑の色を滲ませ首をかしげている。
この質問に彼女が嘘をつく理由も価値もない。
差し詰め、虫が知らせたとでも言ったところだろうか。
「いや、身に覚えがないならいいんだ」
「もしかして、想った人の傍にいける蟲がいるの?」
「ん、まあ…そんなものかね」
いずれにせよ考えすぎて先走りすぎたかと、今さらながらに言葉を濁してみたものの、逆に興味を覚えさせる結果を導いてしまったらしい。
この態度を答えと取ったのか
くすりと微笑んだはまるでここにはないどこかを見るみたいに遠くへを視線をさまよわせ。
「いいなあ。蟲のおかげっていうのが引っかかるけど」
「」
「そうしたらギンコと一緒に旅ができるのに、ね」
「!」
「…なんて。ごめん、冗談よ」
やがて、らしくない冗談にひどくばつが悪そうな面持ちで首をすくめて謝罪の言葉を口にした。
「そんなに安易に考えちゃ、駄目だよね」
そんなこと、ちゃんと分かってる、と。
自分に言い聞かせるかのように静かに頷いたの顔には、いつも見る穏やかな笑顔と、あまり見せようとしない寂しげな色が淡く浮かんでいた。
2007.04.05