春が立つ



「ほれ、あんたたちも。これを持って行きな」


通りすがりの茶店で、地元の人間と思しき柔和な雰囲気の老婆が差し出したもの。
それは、器用に葉でくるまれた小さな炒り豆の包みが二つ。


「ああ、もうそんな季節か」


炒りたてなのだろう。
開けたそばから香ばしい匂いが立ち上り、鼻の奥に残る。


「これで寒さもちっとは緩めばいいが」
「ここは南国だ。北に比べればずっと暖かいじゃないか」
「そりゃそうかもしれんが、気分的にな」
「贅沢な話だ」


強く吹いた風はまだまだ冷たさを含み、ギンコが自然に身を縮めて見せたのをがからかうように笑った。


「おい、ギンコ」
「ああ?」


こちらを向け、と。
少なからず強制力を持った呼びかけに、振り返ったギンコは「何だよ」と続けかけて動きを止める。
否、止めざるを得なかったというべきか。

の指先から放たれた豆は緩く綺麗な弧を描いてギンコの口の中へ、と。

思わずといった様子で一人がそれを噛み砕けば、一人はお決まりの言葉を涼しい顔で呟き肩を竦め。


「せっかくの縁起物だ。ありがたく頂こうじゃないか」
「だからっていきなり人の口ん中、放り込むんじゃねえよ」
「蒔いたものを拾って食うのが通例だろう」


拾う手間と拭う手間が省けて結構じゃないか、とまるで悪びれた様子を見せない。
それどころか、何事もなく一つ一つ豆を口に運ぶ姿に、ギンコが恨めしげな視線を送るのは致し方のないことだろう。


「喉に詰めたらどうしてくれる」
「案ずるな。そのときはちゃんと背中をさすってやろう」


悔しげにうなりせめてもの反撃を試みるも、効果は得られず。


「蒔いたものを拾って食うのが通例、だよな」
「そうだな」


うーん、と顎に手を当て考え込むような素振りを見せたギンコはやがて、にやりと笑みを浮かべ。


「じゃあお前にも一つ」
「せんでいい」
「縁起物だろう?遠慮すんなよ」
「遠慮などしていない。そもそも、蒔いてお前に当てたことでわたしの邪気は払えたはずだ」


だから必要ないと詭弁を弄して逃げを打つ、一度は取り澄ました表情を取り繕っていたの顔にもみるみるうちに笑みが広がった。


「あのな。お前は払えてても、俺はまだ払えてねえよ」
「それはわたしの知ったことではないな」
「まさしくそれは鬼の所業じゃねえか」
「失礼な」
「何、因果応報ってやつだ」


ゆっくりとほころび匂い立つ梅花の間をくぐり抜け、取るに足らない悪ふざけで道中を楽しむ二人のどちらに軍配が上がるのか。

ただ一つ確かなことは。
しばしの間繰り広げられるであろう、追うものと追われるものの堂々巡り。