「ねえ、ギンコ」
「んー」
「ちょっといい?」
それは家を出る直前のことだった。
呼び止められて振り返ると部屋の奥から手招く姿が見える。
荷物をその場に置いて招かれるままにの元へと歩み寄ると、彼女は何か含みを持った視線を俺から天袋へと移した。
「今、あそこになにか小さいものが入り込んでいったみたいなの」
「小さいもの?」
「うん…」
虫なのか鼠なのかはわからないのだけど、と言葉を濁す姿には若干の恐れが見えて事の次第を了解する。
「つまりはちょっと中を見てくれってこったな」
「本当にごめんね」
「構わねえよ」
心底申し訳なさそうな表情にいささか違和感を禁じえないが特に追求するほどのことでもないだろうと判断して、押入れの仕切りに足をかけ天袋を覗く。
下から手渡され、目の高さにまで掲げた灯りを頼りにすぐ傍から奥の方まで目を凝らしてみるが、薄く積もった埃に足跡もなければ闇に何かが蠢いている気配もない。
四方を幾度注意深く見回しても状況は変わらず。
「。本当に何かがこの中に入って行ったのか?」
体を戻して見下ろした先からは何故かの姿が消えていた。
「ギンコ、こっちよ」
「おおーい」
数歩先、縁側に面した障子の傍へ再度手招かれ、依頼主のあんまりと言えばあんまりな態度に一言苦言を呈してやろうかと考えた矢先に屋根を叩く水の音が耳に入り込んできた。
最初はぽつん、ぽつんと緩やかに。
次第にざあざあと強くひっきりなしに。
「………」
「なあに?」
眺めた先にある庭は一気に水気を帯びて匂い立つ。
短い呼びかけに返された声は天気にまるで似合わない陽気さを滲ませ、自分が抱いている疑念がそのまま核心をついているのだろうと思わせるには十分な様子。
「…もしかしてこれを狙ってたのか」
「うん」
「何で雨が降ると分かった?」
「朝からずっと曇ってたし、外気がちょっと湿気てたしね」
あっさりと狂言を認めたは頭を大きく一つ下げ、先ほどの謝罪もこれを見越してのことだったのかと、今さらながらに気がついて思わず宙を振り仰ぐ。
「やられた、な」
「ごめんね、ギンコ」
大きくついたため息が沈みがちな表情に惑わされて、放たれた甲斐もなく笑い声へと変わってしまったのは致し方ないことだろうか。
「もうちょっとだけ…一緒にいてくれる?」
「ま、断る理由はねえな」
控え目ではあったが予め用意していたであろう提案に一も二もなく頷いて得られたのは、この上もなく嬉しそうな笑顔としばしの休息。
2006.05.12