楽しさの基準



「あ、かわいい」


買い物袋を両手に抱え鼻歌交じりに差し掛かった路地裏。
か細い泣き声につられひょいと覗き込んだは、折り重なるダンボールの隙間に子ネコの姿を見出し目を輝かせた。


「ほら、こっちにおいでー。ミルクあげるよ」


まだ生まれて一月ぐらいだろうか。
警戒心もなくよちよちとおぼつかない足取りで這い出てくる子ネコに、はしゃがみこんで指をちらつかせる。

指にじゃれつき始めた子ネコにくすぐったそうに頬を緩めたは。


「…って、なんか来たよ」


背後から伸びた人影に達観したような間の抜けた表情になる。
そして立ち上がり振り返るまでもなく、銀髪の青年がの隣にしゃがみこんだ。

大通りを背に、しゃがみこむ男と女。

さぞかし後ろから見たらおかしな光景だろうが、その辺はお互いどうでもいいことらしくネコを囲んでもぞもぞし続ける。


「カダージュ、ロッズときて、ハイどうぞー」
「ヤズー」
「はいはい、よろしくね」


もはや動じる気すらないは慣れた様子でヤズーをあしらうと、先ほどの言葉どおり。
買ったばかりのミルクを開け、手のひらに注ぎ出す。

おとなしくミルクを飲み始めた子ネコと、それを凝視するヤズーには初めて顔を向けた。


「どうしたの?あなたもミルクが欲しいわけ?」
「………」


からかって言っているのは口調と内容から明白なもので。
さらに黙り込んだヤズーにひらひらと手を振ってみせる。


「て、冗談よ。間に受け…」
「欲しい、かな?」
「いるんかい!」


ズレたタイミングで得られた答えは予想の遥か上を行っていたらしく、は振っていた手を地面について脱力する。


「…まあ、いいや」


がさごそと買い物袋を物色して取り出したジュースを放り投げる。


「?」
「あいにくミルクはあげられないけど。ジュースならどうぞ、ってこと」
「ふーん」


手に持ったジュースを飲むでもなく、覗き込む体勢に戻ったヤズーを視界の隅に納めたは。


「ママはいないのかなー?」


満腹になって再びじゃれ付きだした子ネコを掬い上げる。


「ウチに来る?おチビちゃん」


にー、と計ったように返される鳴き声。
親ネコの有無は後でまた確認しに来ればいいかな、と自身で納得したがにっこりと笑いかける。


「じゃ、キミの名前はなんにしようか」
「『』がいいんじゃない?」
「うーん、ねえ…って」


提案を思わず吟味しかけて我に返る。


「そりゃあたしの名前でしょーが!」
「いいだろ、別に。『』がいいよ」
「よくない。あたしがあたしの名前、呼んでどうする」


嫌がるに少し不満げな表情を浮かべたヤズーは結構本気で名前候補として推していたらしい。


「じゃあ『母さん』?」
「却下。なんであたしが子ネコを母と呼ばなきゃなんないの」


このまま放っておいたら『カダージュ』だの『ロッズ』だのも出てきそうな勢いに。


「も、いいよ。後で自分でつけるから」


荷物を抱えなおしたは子ネコを連れて立ち上がる。


「あたし、帰るけど。あなたはどうするの?」


放って帰るのは憚られたのか。
次いで立ち上がったヤズーにが問いかけた。


「俺も帰ろうかな。カダージュたちが言ってたとおり、十分楽しめたし」
「…楽しかったんだ?」
「ああ」
「………それはそれは」


来たときと同様に、音もなく立ち去る姿を言葉もなく見送る。
路地裏にひとり残されたは目の高さまで子ネコを掲げて目を合わせ。


「どの辺が楽しかったんだと思う?」


返されるあてのない質問をぶつけてみたり。