スタートライン



翌日。
私は早速、子犬の里親を募るために、安心して任せられる環境にありそうな数人に声をかけた。
反応としてはおおむね上々で、声をかけた中でも5人ほどが実際に子犬を見て決めたいと言ってくれた。

その結果を得て、昨日のうちに教えてもらっていたアンジールへと電話をかけ事情を説明すると、夜にでも見てもらおうと言うことになって現在。

滞りなく推移中…は、いいのだけれど。


「やだー、本物よ、本物!」
「アンジールさん、犬がお好きって噂、本当だったのですね!」
「いや、まあ…そうなんだが。参ったな」


里親を捜していたのがアンジールだと知った途端に歓声を上げた女性達に、思い思いに声をかけられて、見事に四苦八苦しているようだ。


「頑張って、いい飼い主さん見つけてくれるといいね」


気の毒に、と思いつつもいらぬ火の粉はかぶりたくないわけで。
路地裏のコンテナで作り上げられた仮設の犬小屋前に避難しつつ、子犬を抱き上げながら話しかけていると、急に黄色い声がさらに大きな物になった。


興味を覚えて、建物の影から頭だけ出して様子を見てみると、集団からほどよく距離を置いた場所に赤いコートの男性が立っているのが見える。


「…3人目のクラス1st、出たよ…」


アンジールが何か声をかけるよりも前に、実に面白そうに彼を眺めていたジェネシスは、ふいと体の向きを変えて無言のまま噴水広場の方へと立ち去ってしまった。
おかげで、それまで以上に盛り上がってしまった女性陣に囲まれたアンジールが、事態を収拾できるのはさらに先の話になりそうだ。


「日付が変わる前に、きみの飼い主さん決まるといいねー」
「まるで他人事だな」
「そりゃ、基本はアンジールさん事ですから」


5分、10分と時は過ぎ、長期戦の構えで壁により掛かって本格的に座り込んだとき、目の前に人影が立ち止まる。

遠目にジェネシスの姿を見た時点で、もしかしたら無意識の内にこの状況を予感していたのかも知れない。
先ほど見かけたジェネシスと似たような表情を浮かべてアンジールを眺めているセフィロスを見上げた私は、小さくため息をついた。


「最近の雑用は、野良犬の世話までするのか」
「あなたね…」


1回目は偶然、2回目も偶然。
でも3回目ともなるとこれは日常的に顔を合わせる確率がかなり高いと言うわけで。
たとえ誰か専属の秘書になったとしても、雑務であちらこちらに出向く状況は今と大して変わらないだろう。
ましてや、彼と同じクラス1stのアンジールと接触するのが、これが最後と言うことはまずあり得ない。


「確かに雑務もあたしの仕事の内ですけど」


ならば、ここで私がとる選択肢はただひとつ!


「そんなやーな言い方してないで、まともに名前ぐらい覚えてやろうとか思ったりしません?」
「何のために」
「あたしの精神衛生を安定させるために」
「話にならんな」
「それ、こっちの台詞」


少し慣れてきてしまったのだろうか。
ぞんざいな物言いにも最初ほど面食らうわけでも腹が立つわけでもなく、無謀なチャレンジが失敗に終わったことを認識するだけ。


「ところで。どうしてこんな所にいらしたんです?」
「面白い物が見られると、ジェネシスに聞いたんでな」
「友達甲斐のない、ステキな連絡網だこと」


諦めて話題を変えれば、実に人の悪い笑みで再び友人の姿を視界におさめている様子に、割と本気でアンジールに同情したりして。
だけど、程なく満足したらしく、アンジールの方でも私の方でもない方向へと視線を転じた。

もう帰るのかな、と。
何気なく見上げた瞬間に何故か振り返ったセフィロスと目が合う。


「な、…なにか?」


予期しない行動に思わず鼓動が跳ね上がってしまって、その音が相手に聞こえているはずもないのに、誤魔化すみたいに声を張り上げる。


「名前は」
「は?」
「名前」
です、けど」


だけど、そんな私の不審な挙動を意に介した様子もなく。
焦れたように繰り返された問いにようやく答えを返せば、用は済んだとばかりにこちらに背中を向けて夜の闇へと消えていった。






視界からセフィロスの姿が消えた後、今さらながらに暴れるのをやめない胸の鼓動を抱えながら。

ようやくスタートラインに立てた、そんな気がして仕方がなかった。