アラームの音に目を覚まし、身体を起こしてベッドから抜け出す──
その手順はこれまで過ごしてきた平日の朝となんら変わることなく、今朝も繰り返されている。
はず、だったのだが。
いつもとはどこか何かが違う、そんな違和感に、半身を起こした状態でめぐらされていたセフィロスの視線がはたと動きを止めた。
「…?」
普段であれば一足先に目を覚ましてこの場から姿を消し、時にはぬくもりすら残っていない場所に、深く寝具にうずもれる形でが横たわっている。
かろうじて額の辺りが露出しているぐらいで表情は見えない。
「おい、」
軽く眉間にしわを寄せたセフィロスが幾度か寝具の上から揺さぶると、もぞもぞと布団を蹴る気配。
次いで現れた頬はのぼせたように上気し、双眸は何故か十分な潤いを湛え開かれた。
「どうした?」
不審と心配とが混在する響きのまま発せられた問いには。
「…がぜびびだみだび…」
おおよそ元の声からは想像もつかないほどくぐもった、濁音の羅列が返された。
「ああ」
見慣れないの様子に驚いているのかどうか。
見た目ではさっぱり判断つかないほど落ち着き払ったまま眺めていたセフィロスが、わずかな沈黙を経て一つ頷いてみせる。
「………つまり?」
「だーがーばー!」
要領を得ない相手の態度に憤慨したとほぼ同時に出た咳をやり過ごし。
「びればばがるでびょー!がぜびびだんだっでば!」
浮いた頭は、睨みつける目にだけ力を残して枕に落ちてしまう。
凍えるように縮めた身体にこもる熱っぽさに加え、涸れ果てた声や断続的に生じる咳、くしゃみなどといった要素が指し示すのは明らかに風邪の症状。
意地の悪い表情を浮かべるわけでもなく再度訊ねたセフィロスが、実はそれなりに動揺していたのかもしれないと思い至ったのはずっと後の話。
今は、風邪か、と低く呟いての額に手を当てるばかりのようだ。
「仕事は休むか?」
「ん」
「病院は?」
「行がばい」
「薬は?」
「明け方び飲んだがばだいじょぶ」
「そうか」
今度こそ納得した意味合いで大きく頷くと、サイドテーブルにあったタオルを持たせて立ち上がる。
「じゃあ大人しく寝ていろ」
「びっでばっじゃーび」
返事を待つことなく扉の向こうへと消えたセフィロスを目だけ動かして見送ったは、一人で独占するには大きな部屋にため息を吐き出した。
病気が入って人恋しくなったのだろうか。
そんなにさっさと行かなくても、と。
ブツブツとしか形容のしようがない独り言を濁声で披露し続ける。
「寝ていろと、言わなかったか?」
右に転がり、左へ戻り。
ごろんごろんと無意味な寝返りを繰り返していたが呆れた口調に驚いたような目を向けた。
「ぜびろず…ばんで?」
「出社したところで今はたいした任務があるわけでもないからな」
室内着のまま戻ってきたセフィロスは看護用と思しき水の入った洗面器とタオルを置くと、ベッドへ腰を下ろし両足を無造作に放り出し。
「お前の休みと一緒に、ついでに俺も取っただけだ」
「でぼ、ぜびろず…」
「いいからもう喋るな」
調子が狂う、と嘯くと手に持っていた書類へと目を落とし始める。
「ぜびろず」
「何だ」
「がぜ、うづぶがぼよ?」
「俺にうつったらお前が後で苦労するだけだ」
「うー」
行動範囲を狭められたが述べた警告には、ぞんざいながらも立ち去る意思を感じられない答えが返され。
しばらくの間、少し荒い呼吸とページをめくる音のみが場に響く。
「ぜびろずー」
「…お前な…」
性懲りもなく呼びかけたを見下ろしたセフィロスは、視線の先にある差し出された手に本日幾度目かの苦言を飲み込んだ。
「何だ」
「で」
「………何?」
「で、がじで」
語気を強め、書類を持った手とは別の空いている左手を指差す。
「俺は看病なんてできないからな」
「ん」
「さっさと治せよ」
「んー…」
手振りを持ってなんとか伝えられた要望はすぐに叶えられ、は満足そうに微笑みを浮かべる。
冷えたセフィロスの手を巻き込むように擦り寄ったまま、間も無く深い眠りが訪れたらしいことは彼女自身が刻む深く落ち着いた呼吸が証明することとなった。
「まったく」
寝顔を眺めていたセフィロスはひっそりと相好を崩し。
効能確かな精神安定剤、といったスタンスはどうやらまんざらでもなかったらしい。
2006.2.26