9月の初め。
暦の上では既に残暑、立秋を通り越して秋分の一歩手前の位置づけにあるらしいってことが、知識と意識と肉体に感覚的なちぐはぐさと微妙な齟齬をきたしているんじゃないか、なんて。
そんなことを言っても何が変わるわけでもなし、普段であればさして気に留めることですらない。
はずの、些細な事柄。
その日は厳しい暑さが続く中、ほんの少しその暑さが和らいだ感のある一日だった。
「はいこれ、差し入れ」
「遅かったね」
「これでも最速なんだけどな」
「無理して来てくれなくても良かったのに」
「………泣くよ?」
鬼ー悪魔ー、などとブツブツ言いながら、午後になってどこかのコンビニのものと思しき袋を携えたが部屋を訪れた。
とは言っても、職場である国立図書博物館が休館日で一日余裕のあった僕とは違って、彼女が部屋に訪れたのは既に夕方過ぎではあったけれど。
「ねえ。クーラー効きすぎてない?」
「そう?」
「そう!」
窓を閉め切ってクーラーを効かせた部屋の中に足を踏み入れたは小さく身震いしてる。
そんなに外気と温度差があるのかと壁にかけてあるリモコンに目を向けると「21℃」のデジタル数字が表示されている。
確かにこれは寒いと感じるべきかもしれない。
「窓開けていい?」
とりあえずは確認の形を取っていたの言葉だったが、それは行動とほぼ同時に放たれ、返事をする暇もなくあっという間に部屋中が外気で満たされる。
流れ込んできた空気はやはり暑いと感じられるものの、決して蒸した不快さを感じさせるものではなかった。
夏の初めにが窓際に取り付けた風鈴が揺られ音が鳴るのを聞きながら、ディスプレイに向き直る。
「あれ?アオイ、今からネットするつもり?」
「するつもり」
「えー、折角きたのにー」
「ごめん。でも、後ちょっとで終わるんだ」
「後ちょっとって…あ!もう聞いてないし!……もー」
当然のように沸き起こったブーイングを沈黙でやり過ごしていると、やがて諦めたのか、身動きする気配だけ残して大人しくなった。
安心してしばらくは隔絶された仮想世界へとダイブしていたが、気がつけば現実のものとして無意識の内に身体が認識しているはずの音の中にのものが感じられず。
聞こえてくるのは、ちりんちりんと不規則に鳴り続けている風鈴の音と遠く聞こえる雑踏のみ。
いくら耳を澄ましてみたところで、何故かその中にはいない。
「?」
疑念を持ったまま再度集中し直せるわけもなく、繋げていた外部リンクを切断してオフに戻す。
自分の後ろ、テーブルの椅子、シンクの傍。
彼女がいそうな場所をぐるりと見渡し、涼しげな音色に引かれて見た先に。
「…」
ベッドの端に腰掛け、窓台にもたれかかるようにして眠る姿に行き当たる。
うだるような暑さは鳴りを潜め、窓から入り込んだ風は確かな涼をもたらしていた。
結局、途中で起こしてしまうのも忍びなくてそのままネットに没頭していたら、後々時間がなくなってしまって。
「起こしてよー」と、実に恨めしそうにする彼女を宥めながら送り帰す羽目になったのだけれど。
ただ、風に吹かれ気持ちよさそうに眠るの姿に。
ふと、こんな時期に秋の気配なんてものを感じたのは初めてかもしれないと、妙に立秋だの秋分だのと言った言葉を実感させられるのに十分な出来事だった。
2006.09.15