宴もたけなわ。
大きな桜の下、シートを広げ車座になって一つの時間を共有していた公安9課の面々が、輪を崩し思い思いの体でくつろぎ始めた時分。
「さーてと」
素子の隣に座って大人しく談笑していたがおもむろに立ち上がる。
「新入社員ならではの嗜み、お酌に行ってきます」
「そんな前世紀の遺物みたいな因習、一体どこで仕入れてきたの?」
「もちろん、タチコマ情報です」
彼らがネットから探し出してくる、どちらかと言えば無益と言える情報に乗っかって楽しんでいるのだろう。
実に楽しそうにネタ元を明かす。
「…でしょうね。バトー達に妙な絡まれ方しても知らないわよ?」
「えー。そんなこと言わずにいざとなったら助けてくださいよー」
「気が向いたらね」
「絶対ですよ?頼りにしてますからね、少佐!」
「いいから行くなら早く行ってきなさい」
「はーい」
素子に背中を押され…、否。
軽くあしらわれるように送り出されたは、何故か小躍りでもしそうな勢いで両手にビンを握り締め第一の目標へと突き進んでいった。
─ CASE. 荒巻 ─
「課長、お酒進んでますかー?」
「か」
手に持ったビンに目をとめ意図を汲んだのか。
中味を空けてグラスを差し出した荒巻が何を思ったのか、大きくため息をつく。
「どうかなさいました?」
「どうしてそう落ち着きがないのだろうな」
「…はい?」
「お前が入社してからというもの、タチコマと共謀して何かをしでかさない日がないに等しいではないか」
「えーっとお…」
据わった目でまだ記憶に新しい過去の所業を列挙され。
「ちゃんと聞いておるのか?」
「お邪魔しましたー!」
硬直した笑顔のまま驚くべきスピードで荒巻の前を後にした。
逃げるが勝ち。
なんと素晴らしい慣用句であろうか。
─ CASE. バトー&トグサ ─
「俺の酒が飲めねえってのか!」
ちゃぶ台でもあれば即ひっくり返されていそうな大声に、は若干の距離を持って立ち止まった。
とはいえ怖がっているわけではないらしく、どうせなら気づかれないように高みの見物を決め込もうという魂胆らしい。
「そう言ってあんた、俺に一体どんだけの酒を飲ませりゃ気が済むんだ!?」
「そりゃあ。お前が倒れるまで、か?」
「急性アルコール中毒にするつもりかよ…」
「お、」
「俺の話聞けって!」
手に持った数本のビール全てを相手に押し付けようとするバトーと、心底困り果てたといった様相のトグサが押し問答を続けている中。
「どうもー」
そろそろと様子を見ながら近づいた甲斐もなく視線を集めたの顔には苦笑いが浮かぶ。
「お二人とも、何を派手に言い合ってるんです?」
「それがなあ。こいつが俺の酒が飲めねえって言うもんだから…」
「違うだろ!?さっきからずーっと飲まされ続けてるから、もう無理だって断ってんだろ」
侃々諤々。
片やおおよそ正論とは言いがたいが、延々と続けられる議論を止められる者はなく、またわざわざ止める者もない。
「ところで。お前はどうしたんだ?」
「あ、それがですね」
無論それはにも当てはまることで、水を向けられてこれ幸いと手にしたビンを差し出した。
「白熱しているところ非常に心苦しいんですけど。面倒なんでこれ一本全部飲みきっちゃってくださいね」
「おお、気が利くじゃねえか。ほれ、トグサ」
「!お前もかよ!!」
社内での後輩に当たる人物が味方とは限らない。
どこかで聞いたような言葉を苦々しく吐き出したトグサの受難は、まだまだ続くようだ。
─ CASE. イシカワ ─
「イッシカワさーん…と、あれ?」
火に油を大量に注ぎこんだ後、新しいビンを抱えてイシカワの元へ向かったは、妙に静かな様子に首を傾げた。
俯きがちな顔を覗き込むとグラスを片手に小さく舟をこいでいるようだ。
なるほど、と得心したが次に取った行動は、何故か静かにその場を立ち去ることではなく。
「うわー、大量」
傍にしゃがみ込み、更にまじまじとイシカワの顔を覗きこむことだった。
「どれどれ…」
目元にはメガネ、かろうじて露出した頬の部分にはきっちり三本ずつのいかにもなヒゲと額には肉。
「こんなことするのってやっぱバトーさんだったりするのかな?」
妙に感心したようにありとあらゆる落書きに目を落としていたが、ふと動きを止める。
「………いや、タチコマか」
『イシカワさんのヒゲは着脱可能』
件のヒゲを外してみたい衝動は何とか抑えることができたらしく、半径1メートル以内には数分前と変わらず眠るイシカワだけが残された。
─ CASE. サイトウ&パズ ─
打って変わって賑やかな場へと向かったは、賑やか過ぎる状況に疑問符を飛ばす。
「お前もやるか?」
主語となるべき言葉を省いて誘いかけてくるサイトウの手には数枚のカードが納められ、どこから持ち出したのか、大きめのダンボールを台に見立てて同様の姿で数人が囲んでいる。
彼らを取り巻くいかついギャラリーの中で時折、金が動いているところを見ると誰が勝つのかなどと、賭けているのだろう。
「い、いえ。ポーカーよく分からないんで」
「遠慮するな。俺が教えてやるよ」
「あ、じゃあ…またの機会にでも」
無表情のまま行き交う最小限の会話はお世辞にも弾んでいるとは言いがたいものの、立ち込める熱気には空いた手をひらひらと振って見せた。
「じゃ、こっちで一緒に飲むか?」
「へ?」
漂ってくる妙な気迫から逃れ、一息ついたのもつかの間。
会話の切れ目を狙い済ましたかのように割って入った声に振り向いたの視界には、普段と何ら変わらない冷静さでグラスを傾けるパズが映る。
「うげ」
否。
普段と何ら変わらない冷静さでグラスを傾けるパズを中心にして取り囲む華やかな女性集団が映りこむ。
「飲みに来たんだろ?」
「うーん…と、そういうわけでも…ないかもあるかも…?」
「煮え切らねえな」
気に止めないのは本人ばかり。
穏やかを装う女性陣の間を飛び交う火花は、熱く激しく生まれては散り行く錯覚を覚えるほどだ。
「えー…っと。またの機会にお願いします、はい」
「そうか」
荒巻に続いてここでもやはり、逃げるが勝ち。
─ CASE. ボーマ ─
公安9課ツアーも残すところあとわずか。
「ボーマさーん」
「おう、か。よく来たな」
ようやく心の平安を得られそうな場所にたどり着いたは足取りも軽く、口をついて出る声も実に軽やかだ。
軽く片手を挙げて出迎えたボーマは、忙しく口元を動かしたまま空いた手でひょいと目の前から食べ物を取り上げた。
「鳥のから揚げ、うまいぞ」
「あ、いただきます」
「春巻き食うか?」
「あ、いただきます」
「おにぎりもうまいぞ」
「あ、いただきます」
一つ、また一つと肩を並べて食べ続ける。
「お、小龍包もあるぞ」
「もう無理です」
その数、十をいくつか超えた辺りで、が胃を押さえてギブアップを告げた。
「ん?まだ他にもたくさん残ってるぞ?」
「ありがとうございます。でも、お構いなく…」
「そっか?」
見るからにいっぱいいっぱいな表情はそれ以上の言葉を憚られたらしく、ボーマは無理強いすることなく変わらぬペースで再び食べ始める。
はというと。
相手の扱いが違うとは言え、先ほどのトグサの気持ちがちょっと分かったような気がしたとかしないとか。
─ CASE. タチコマ ─
夕食どころか翌日の朝食分まで摂取する勢いで胃を膨らませたは、やや離れた場所から青い集団を眺めた。
「おりゃー、酒持ってこーい」
「あーれー。お代官様ご無体なー」
おおよそ意味があるとは思えない発言の数々に、既に近づく気力もないようだ。
げんなりと傍を通り過ぎようとしたがふと何かに目を止めて眉をひそめる。
「そもそも何であんなに酒乱じみてんのかと思ったら…」
焼酎、ワインにウイスキーなどなど。
「あのヒトたちでも酔えるんだ」
彼らがハイなテンションで錯乱する中、足元にはありとあらゆるビンが空になって散乱している。
「…てか、『酔った』シチュエーションをシミュレートしてるだけだったり…?」
摂取口はオイルを注入する部分でほぼ間違いないとして、根本的かつ素朴な疑問はいくら声に出してみても解決の糸口すらつかめないようだ。
うーん、としばらく悩んだ末に。
「ま、いっか」
結局は行き着くところに行き着いたと見える。
「なあに。結局帰ってきちゃったわけ?」
一人静かに桜を眺めていた素子は、隣へ戻り、座り込んだに気づいて含み笑いを漏らす。
「はい。変に絡まれこそしませんでしたけど、皆さんクセのある出来上がり方なんですもん」
からかう口調に気づくこともなく、は新しい紙コップに手近にあったジュースを注ぐと一気に飲み干した。
「さすが公安9課、恐るべしです。これが噂のスタンドアローンコンプレックスなんですね!」
「何かちょっと違う気もするけど」
「いいんです。少佐のところが一番落ち着くってことが判明しただけで」
満腹感もお菓子だけは別腹だったようで、あっという間に周囲のジュースとお菓子が消えていく。
途中、手渡されたチョコレートを手の内で転がし苦笑した素子は。
「結局、誰も彼も花より団子ってわけね」
すぐ傍に降り積もった花びらを掬い上げて、紙ふぶきのようにぱっと散らせるのだった。
2006.05.26