春眠






縁側、囲炉裏端。


「おーい」


土間から戸口。


、どこだ?」


回りまわって縁側から一望できる中庭へ。
きょろきょろとを探せど姿は見えず、また、呼びかけに応える声もない。


「いねえな…」


家の中を一回りしたギンコは途方にくれたように呟く。
いつもならわざわざ探すまでもなくその所在を把握できると言うのに、今日に限っては何故かそうもいかないようで。


「昼過ぎまでは確かに家にいたよなあ?」


中と外を交互に見やると、困惑顔のまま盛大に煙草の煙を吐き出す。


「さて、どこへ行ったのかね」


さほど遠くへは行っていないだろう、と、春の陽気に満たされた里の中心へのんびり歩みを進めて行った。






「あれだけ言っておいたにもかかわらず…」


道々に出会った人から聞いた話を頼りに、辿りついたのは満開の桜が並び立つ小さな広場。
その中でひときわ古く、大きくそびえ立つ桜の根元。


「どうしてこんなところで熟睡してるかね、まったく」


思わずついて出た言葉の通り、上半身を預ける形で眠り続けるの姿があった。

髪に着物に。
所嫌わずついた白い花びらが、ここに来てからの時間の経過を物語っているようだ。


「おい、


無事に探し当てることができたという安堵と、何がしかの不満がない交ぜになった面持ちで傍らにしゃがみこみ、二度三度と声をかけてみるものの反応はなく。
軽く肩を掴んで揺さぶってみても、眉間にわずかなしわが寄っただけで状況はほとんど変わらない。


「やれやれ…」


諦めきった様子でギンコは木の幹に背中をつけて両足を投げ出した。

狭い空間を覆うように植えられた木々は、空も見えないほどに花が密集して薄紅色のアーチを作り出している。

何とはなしに花見に興じていたギンコが程なく肩口に感じた重みに視線を移すと、寄りかかってきた頭からいくつかの花びらが流れ落ちる。


宿主の記憶を奪っていく蟲、影魂。


「目を覚まして記憶を失くしたなんて、言うんじゃねえぞ」


起こるか起こらないかの可能性に一々神経を尖らせていても仕方がないとは言え、どうしても心配が先に立つのも道理。
眠るの頬にそっと手を当てて冗談とも本気ともつかない呟きを漏らすと、髪についた花びら全てを散らし。


ひらひら、ひらひらと。


の睫毛に引っかかって散り損ねたうちの一つを、ギンコは顔を寄せてそっと吹き飛ばした。

その局所的な空気の動きに気づいたのか。


「あ、あれ?ギンコ…?」
「やっと目え覚ましたか」


夢と現の境をさ迷うことなく大きく目を見開いたかと思うと、間近に見えるギンコの顔を不思議そうに眺めていたは、ぱちぱちと数回目を瞬かせる。

が、いくら待っても状況の説明がギンコの口からなされることはなく。


「うわあ…大量」
「自分で言うなよ」


ただ、雄弁に心情を語っているであろう視線を追いかけ、ようやく自分の姿を認識するに至った。


「…なあ、
「なあに?」
「前にちゃんと言ってあったよな?」


ふと、花びらを払い落とすのを無言のまま手伝っていたギンコが漠然と、だが問い質す響きで口を開く。


「なにを?」
「古木の影では居眠りすんなって」
「うん、聞いた聞いた」


次から次へと。
払い落としたそばから新しく降り積もっていく様子から、とてもその作業が捗っているようには見えない。
が、妙に楽しんでいる様子のは手を休めることなく軽く頷きながら相槌を打ち。


「だよなあ…って。…おーい」
「うん?」


がっくりと肩を落としたギンコが、力なくため息をついた。


「じゃあ何だって古い桜の根元で居眠りしてんだよ、お前は」
「え?だって」


半ば据わった緑の目にいささか気圧されたがにこりとあからさまに愛想笑いと見て取れる笑みを浮かべ。


「ちゃんと影にならない場所を選んだつもりだし」


お日様が目の前にあるでしょ、と身振り手振りを加えて言い募り続けた。

確かに彼女が主張する通り、時間帯から考えて影がさす場所ではないことは分かった。
だが、要らぬ心配で気を揉んだ、せめてものささやかな意趣返しとでも言うのだろうか。
蟲の関与など微塵も見られない姿に自分の考えがただの杞憂であったことを確認したギンコは、殊更苦虫を噛み潰したような表情を作ってみせた。
怒った振りとは気づかずに慌てたがおもむろに空を仰いで指をさす。


「あ!ほら、ギンコ。すごい桜吹雪!」
「あー…何かもう見飽きたって感じだなあ」
「そんなこと言わないで、ね?見て見て、きれいだよ」
「さ、家に帰って飯まで一眠りするかね」
「ねえ、一緒に見ようよー」


暖かな春の気に誘われた眠りは、どうやら高くついてしまったようで。
のらりくらりとかわされつつも会話は続いていく。






薄紅に染まった実に風雅な景色の中。
結局のところ、とても景色に見合っているとは思えない不毛なやり取りにて日が暮れるまで一組の男女が場を独占していた、と。
しばらくの間、里の中でいい笑い種になってしまうのは、そう遠くない先の話。