春の宴



「誰か、トッシュを見かけなかったか?」


久しぶりに足を踏み入れた故郷の地にて。
神殿内の一室で一行が骨を休めている中、硬質な床に足音を響かせてアークが顔を覗かせた。


「さあ?」
「そういえばシルバーノアを降りてからは姿を見ていないが」


顔を見合わせ首を傾げる仲間たちをぐるりと見回し、最後に無言のまま立ち上がったに目をとめた。


?」
「実際にどこへ行ったかは知らないけど」


説明を求めるような呼びかけに、部屋の外へと向いた体を半分だけ振り返らせて立ち止まる。


「行きそうな場所に心当たりがあるから。ちょっと探してくる」
「一人でか?誰か連れて行った方が…」
「大丈夫よ。そんなに遠くないから」
「しかしなあ」
「大丈夫だって。みんなと違って私はまだ面が割れてないし」
「だけど…」


単独行動に難色を示すアークの態度には小さく笑みを浮かべた。
このまま会話が続くと、ポコやイーガが同行を買って出るのも時間の問題だろう。
だが、それは彼女が望む形ではないようで。


「とにかく!行ってくるね」
!」


鶴の一声が発せられる前にひらひらと手を振ると、は身を翻し外へと飛び出した。




長居できるような状況ではないとは言え、帰郷してトッシュが立ち寄る先と言えばそう多いものではなく。
ましてや真っ先に足を向ける場所など数えるほどしかない。

スラムを望む小高い丘への道を足早に辿ったの視界には、開けた場所に立ち尽くすトッシュの姿が映った。


「やっぱりここだったんだ」
「…か」
「行き先ぐらい言ってあげたら?アークが探してたよ」
「ああ、悪いな」


ぽつんと打ち立てられた質素な墓標には、既に幾筋もの濡れた跡が残されている。
まだ雨の降ってきていない今、考えられることはただ一つ、とは隣のトッシュを仰ぎ見た。


「オヤジと酒盛り?」
「ああ」


一点を見つめて微動だにしない体を時折動かし、無造作に掴んだ徳利を傾げてささやかな雨を降らす。
薄紅に色づいた花びらがひらりひらりと舞い落ちては、無機的な岩肌に彩りを添えた。

何度も繰り返される行為を、は目を細めて静かに見守る。


「折角のいい季節だってのに、とんだ空模様ね」


空を覆い尽くした黒い雲が大きな雨粒を今にも落としてきそうな様相を呈し、墓標を取り囲むようにして咲き誇る満開の桜も、どことなく翳りを帯びて物悲しく感じられるようだ。
心底残念そうな物言いにつられて顔をあげたトッシュも大きく頷いて見せた。


「まあ、花曇って言うぐらいだからな」
「うん…って」
「しょうがねえっちゃしょうがねえんだが」
「ちょっと、トッシュ兄…」
「何だよ?」


訥々と先を続ける声にの意外そうな声が重なって、会話は不自然に途切れてしまう。


「花曇なんて言葉、よく知ってたね」
「…お前、俺のことバカだと思ってねえか?」
「そんなことないよ。感心してるだけじゃない」
「よく言うぜ」


小突く振りと逃げる振り。
共に本気ではないその仕草に、沈みがちだった場の空気が和らいでいく。





前触れもなく放り投げられた何かをすんでのところで受け取ったは、次いでころりと手のひらに転がした。


「なんの真似?」


トッシュの持つ徳利に備え付けられていた猪口を眺めて小さく首を傾げ、手招かれて素直に覗き込んだ隙に酒がなみなみと注ぎ込まれる。


「ここは一つ、花見酒としゃれ込もうぜ」
「今から?」


暗にアークが待ってるんだぞ、という気持ちを込めたであろう問いかけはにやりとしか形容しがたい笑みに一蹴される。


「お前も付き合えよ」
「強引ね。アークに叱られたらトッシュ兄のせいだって言うからね」
「ああ?俺とは共犯だろ?」
「いいえ。私は被害者です」


わざとらしく呆れ顔のまま小さく肩をすくめたは、猪口に舞い込んだ花びらごと一気に飲み干した。


桜吹雪の中、二人が杯を酌み交わす三人の宴はひそやかに繰り広げられる。
無粋な雨に水をさされてしまうまでの、わずかな間だけ。