寄せては引いていく波の音が耳に心地良い海辺の村。
「患者さんがお見えですよ」
「ふむ、どんな様子かね?」
「漁の最中に手を怪我されたとかで…先生!泥だらけの足で畳に上がらないでください…って、あ、足跡!」
「はいはいはいっと」
とある医者の家からもれてくる元気かつ賑やかな声を聞いては笑いさざめく村民たち。
凪いだ海同様、今日も実に平和なご様子。
そんな恵まれた環境にあって、とある医者こと化野には目下のところささやかな悩みがあった。
それは…。
「」
「なんですか?」
助手として毎日の如く敷居をまたぎ行き来を繰り返すのこと。
「その辺においてあった医学書を知らんかね?」
「ああ、それでしたら」
名を呼ばれ、心得たようにこくりと頷いたは棚から数冊の本を持ち出すとぼんやり待ちの状態で佇んでいた化野へと手渡す。
「さっきお掃除しているときに目に付いたものだから」
「ああ、すまんね」
「いいえ、お安いご用です」
「ところで、。今日の夕方…」
「はい?あ!お薬届けるの忘れてた!」
今日という言葉に忘れかけていた記憶が呼び覚まされたのか。
はたまた化野の顔を見て思い出したのか。
すみませんと申し訳なさそうに会釈すると、パタパタと家を飛び出していく。
用件を伝えることは勿論、呼び止める暇すらなく。
ぽつんと一人、部屋に残された化野の腕が空をかきぱたりと落ちた。
器量は上々。
気配りも細やかでそつがなく、邪魔に感じるようなことはまずしない。
加えて働き者とくればおおよそ文句の出ようもないはずなのだが。
生憎にも、問題はそこにあった。
「うーむ…」
受け取った本を小脇に抱えたまま顎をひと撫でした化野の顔には複雑な色が浮かぶ。
「どーも上手くいかんね」
働き者過ぎるがゆえに会話すらもままならない状況が続き今に至る。
話しかけては用事を思い出し、用事を思い出してはまた忙しなく身体を動かし続ける。
律儀なの性分に問題があるのか。
それとも、間が悪いときにばかり物を頼んでしまう化野に問題があるのか。
「やはりここはギンコからアレを買うしかない、か」
判明しそうもない疑問に首をひねりつつ、一縷の希望を見出し呟く。
善は急げ、ということで。
早速硯に墨を落とし筆を進めた化野の書簡には。
─至急、惚レ薬求ム─
実に分かりやすく即物的な一文がしたためられたとか。
2005.12.01