雲ひとつない青空の下。
「水も滴るいい男、か?」
唐突に落ちてきた雨粒を避けるすべもなく、転がるように近くの茶屋へ飛び込んだギンコの耳に入る声はどこか面白がるような響きで。
「…心にもないこと言うんじゃねえよ」
軒先に入ってなんとか雨を逃れたとはいえ、ギンコの足元には流れ落ちた雫が水溜りを作っている。
「おや、お前はわたしの心が読めるのか?」
「そんだけニヤついてりゃバカでも分かるだろうがよ」
「なるほど。至言だな」
「否定しろよ」
「まあ、そう尖るな」
堪えきれずにギンコは大きなくしゃみをひとつ。
「なんせ見過ごすにはもったいないぐらいの見事な濡れっぷりだからな」
常套句だろう?と、自分の荷物の隣に置かれた同形のギンコの荷物を手ぬぐいで拭いてやりながらは可笑しげに笑った。
上着を搾って水気を払ったギンコはの隣へと腰を落ち着ける。
拭っても白い髪をつたって落ちてくる雫と格闘しつつ、とうの昔に火が消えて湿気た煙草を処分した。
「…いつかお前も降られろ」
「それはそれで風情があって良いな」
「良いのかよ」
「雨に打たれるのも悪くはない」
「じゃあ何で雨宿りしてんだ?」
「今は濡れたい気分ではないのでな」
「言ってろ」
「ふふ」
軽口の合間にも陽の光を浴びつつ雨は降りしきり、リズミカルに屋根を叩いている。
やさしく軽やかに、そして時折強く。
「元気そうじゃねえか」
しばらくの間押し黙って雨音に耳を傾けていたギンコが口を開くと。
「お前もな」
同じく外へと視線を向けたままも口を開く。
「そっちはどんな様子だ?」
「まあ、まずまずだな」
可もなく不可もなく。
ヒトとモノが共存する上で最良の道を模索するには彼らが動いていくしかない、そんな変わらない日常。
遠くを見るような目で空を見すえたが、ふと顔を和ませた。
「止んだか」
「んー?…ああ」
つられて顔を上げたギンコの目に映るのは遮るものなく広がる青空と、水の恵を存分に享け一段と力強さを増す草木。
「降ったり止んだり。いっそ清々しいほどの天気雨だったな」
「よほどいいとこのお狐様が嫁入りされたんだろうよ」
「狐の嫁入り、ね」
荷物をしょい上げてギンコに並び立ったは大きく伸びて深呼吸する。
「ほら、あちらこちらに虹が立つ」
「そりゃ、あんだけ降りゃあな」
「めでたい話じゃないか。ずぶ濡れになったお前にもなにかご利益があるかもしれないな」
「だったら降られた甲斐もあるってもんだが」
目的地が一緒、などということは滅多にあるものではない。
それならば名残惜しくなってしまう前に早々に立ち去ってしまおうという魂胆だろうか。
何もねえだろ別に、と嘯きつつギンコは背を向けて手を軽く上げる。
「ギンコ」
「お互い次はどこで会えるか分かったもんじゃねえが」
「おい、ギンコ」
「じゃあ、達者でな」
「聞けというに」
ぬれた手ぬぐいをぴしゃりと投げつけたはギンコが振り向くのを待たずにそばまで歩み寄る。
「何すんだよ」
「今度は北へ向かうのだろう?」
「そうだが?」
「私も北だ。しばらくは同行させてもらおう」
「…へえ」
言いたいことだけ言ってさっさと歩き出したをギンコはゆっくりとした動作で追い始める。
「これがご利益ってやつかね」
「なにか言ったか?」
「いんや、何も」
未だ消えずに残る虹と水溜り。
「早く来ないと置いていくぞ」
「おい、。人を呼び止めといて置いて行くんじゃねえよ」
果たして、その『ご利益』は如何に?
2005.10.13