固い蕾がほころんで、あちらこちらを賑わせるようになるにはまだまだ先の話。
けれども草の陰や木の合間に、その姿を認めては嬉しそうに顔を寄せるの姿に。
「」
一歩下がったところでゆったりと歩みを進めていたギンコが軽く眉をひそめる。
「見慣れんもんにやたら近づいて見たりすんのは、できるだけ止めた方がいいと思うぞ」
「どうして?」
言葉だけに留まらず、名も知れぬ野の花に伸ばしかけた手までをも制されるに至って初めて、はきょとんとしたまま動きを止めた。
「花に見えて実は蟲だったって話、ないわけじゃねえからな」
「そうなの?」
「障りの程度は…まあ、それぞれとしか言えんが」
「へえ」
振り返った先にあるギンコの表情に明るさはなく、はおとなしく身を遠ざけると、一点を見つめ続ける視線の先を同じように辿った。
「種の保存か、それとも生へのあって然るべき欲求なのか。そんなことは分からんがね」
ふわりとそよいだ風に黄色い粉が小さく舞う。
「お互いのために、距離を持った方がいいこともあるだろうよ」
乗るのは風か虫か、それとも他の何かの要因か。
手段は違えど、個を主張する色鮮やかな花弁の中心にひしめく種の源はただ時が来るのを待つ。
その営みに、植物でも蟲でもなんら変わりはない。
「それに」
わずかに感傷めいていた声色はすぐに茫洋とした響きを取り戻し。
「万が一、が寄生でもされたらって思うと、こっちもたまったもんじゃないんでな」
一つところに固定されていた緑の眼も穏やかな眼差しを持ってへと戻され、の顔にもやわらかな笑顔が浮かぶ。
「でも。もしそうなったらギンコが助けてくれるでしょう?」
「そりゃ当然手は尽くすが。…もしもってことがあるだろ」
「そうだよね…うん。頑張って善処するね」
「…お前ね」
「ね、もうちょっと奥まで行ってみよ?」
「へいへい」
確率は良くて五分五分かよ、と。
いかにも当てにならない答えに脱力して見せたギンコは、再び散策を始めた彼女の背中を眺めた後、そっと花へと視線を滑らせる。
「まあ、この辺には危なそうなやつはいなさそうだから大丈夫だろうけどな」
「ギンコ、どうしたのー?」
「いんや何でも…って、。さっさと先に行くなよ」
「だってギンコ、遅いんだもの」
「だからってどんどん先に行くこたねーだろ、て。だから待てって!」
幾分か開いてしまった距離を縮めるために駆け出したギンコを、見送るかのように。
一度だけ、花が揺れた。
2006.01.14