ラビリンス



「アオイー」


建物奥へと入り込んだの耳に聞こえてくるのは閑散とした高い天井に響く自分の声と、狭い通路を行き来するわずかな機械音。


「いるんでしょ?」


通りがかった受付で、この中のどこかにいるという証は確認済みだ。


「ああ、来てたんだ。いらっしゃい」


未整理の本を飛び越え本棚の合間を覗き込みながら捜し歩くに言葉が返されたのは、数分間のタイムラグを経た後のことで。
声を頼りに探し当てた相手は、脚立の足元に腰掛け手元の本に没頭しているようだった。


「何度来てもまるで迷宮みたいだね、ここ」


来た道を正確に戻れないと自覚し得るほどに複雑に感じたのか。
アオイの正面にすとんとしゃがみこんだの声にはわずかに呆れの色が混じる。


「私、いつか迷子になっちゃうかも」
「そういう時は手を壁につけて歩くとそのうち出られるとか」
「ここでそれやったら一つの本棚をずーっとぐるぐる回っちゃうよ」
「それもそうだな」
「もう、ちゃんと考えてよ」


相槌は適当に打つものの、なかなか目をあげようとしないアオイの持つ本に手をかざし妨害したは、期待を込めた目で首をかしげて見せた。


「ね、もしさ…。もし私が迷ったらアオイは助けに来てくれる?」


それなら今すぐにでも迷子になるんだけどなあ、と呟いて相手の反応をじっと待つ姿は、自分を構えという意思表示なのだろう。
やっと絡んだ視線に実に嬉しそうな笑みを返す。


「閉じ込められたミノタウロスなんてここにはいないよ」
「なによそれ?」
「危険なことに巻き込まれる可能性はゼロに等しいから、ここではいくらでも迷子になっていいよってこと」


さして考え込む様子もなく出てきた言葉には薄っすらと眉間にしわを寄せ。


「なんてね。そもそも声を出せば互いの所在が把握できるような場所は迷宮とは言わないんじゃないかな」
「たとえでしょ。ちょっとしたたとえ」


再び目を落としかけた本を取り上げると小さく頬を膨らませた。


「いいよ、もう。自衛するから」
、重い」
「重くなーい」


八つ当たり半分、遊び半分。
激突する勢いでが背中に張り付いた衝撃に、危うく脚立ごと倒れかけたアオイは何とか踏ん張って事なきを得る。
代わりに積みあがった本が数冊、ばさばさとバランスを崩して床に散らばった。


「でもさ。閉じ込められた怪物さんならここにいるんじゃない?」
「それってもしかしなくても僕のこと?」
「そう」


どうバランスを取ろうともろくな安定感など得られそうにない場所で、妙に満足げながしみじみと話を蒸し返すと、アオイが小さく笑って振り返る。


「まあ、一理あるかもね。じゃあその怪物に襲われないうちに迷宮を抜け出しちゃった方がいいかもしれない」
「あ、それ。いい」
「え?」


声が弾んだのとほぼ同時に、飛びついた時と変わらない勢いで彼女が立ち上がった影響は、当然の如く周囲の本たちに及ぶ。
さすがに慌てたの手によっていびつなラインを形成しつつ、とりあえずは元の位置に戻されたようだ。


「さ、一緒にお出かけしよ?」


その辺に放ってあった荷物を左手に、目を丸くしたまま固まっているアオイの手を右手に掴んで気分はもう外に向けられているのか。
きょろきょろとは進む方向を模索し始め。


「ミノタウロスが生きて外を出たって話、聞いたことないけど」
「やだなー。その話の中で生きて外に出た人いるじゃない」
「…僕はいつの間にかテセウスも兼任していたのか」
「ね、行こう?」


悩んでも無駄と諦めたのか、一方へ歩み始めた身体はアオイに引っ張られて立ち止まる。


「そっちは奥。外に出るならこっち」
「あれ?そうなの?」
「…本当にそのうち迷子になっちゃいそうだね、は」


そう遠くない未来を慮ってか。
しっかりと手を繋いだまま、片やため息混じりに、片や鼻歌交じりに外を目指した。


お題配布元:ドリーマーに100のお題