真っ先に感じたのは、鉄錆のようなあの独特で嫌な臭い。
追いかけるようにして唾液とは似ても似つかない生臭い液体が口の中に溢れて。
その気持ち悪さに溜まった血を吐き出してから、やっと口の中を盛大に切ってしまっていることに気がついた。






濛々と舞う砂塵。
乱れ入り交じる大勢の人々。
高く鼓舞された気勢は、混戦の中でいつしか狂乱へと変貌を遂げている。

各所で起こる爆風の煽りでも食らってしまったのか。
木の根元に倒れ込むように俯せていたは、緩慢な動きで上半身を起こしゆるゆると頭を振っては瞬きと荒い呼吸を繰り返す。


「うえ…不味…」
「この状況下でそんだけ暢気に構えてられりゃ上等だな」
「あれ?…ビクトール、さん?」


ふとついて出た言葉に、呆れたような安心したような声が重なる。
反応があることなど…そもそも、人が傍にいることなど思いも寄らなかったのか。
顔を上げたの顔には至極不思議そうな表情が浮かんでいた。


「何でこんな所にいるの?」
「ご挨拶だな、おい」


軽い口調のままで大きく口を開けさせたビクトールは、頬の内側に裂傷を見つけて顔をしかめ。


「お前が吹っ飛ばされてるのを見かけて、慌てて飛んできたってのによ」
「でも、私なんかに構ってる暇…」
「この戦いはじきに終わる。さっき向こうの大将を討ち取ったって伝令があったからな」
「ほんと!?」


喜びのままに勢い込んで身を乗り出したが、ぐらりとバランスを崩すのをまるで見越していたかのように支えると大きくため息をついた。


「お前な。まだ目ぇ回ってんだろが」
「…そ、そうでした」


出血と、全身を強打した影響と。
お世辞にも戦い慣れているとは言えない身には、かなりの負担を与えて余りあるほどだろう。

が眩暈を起こし支えられたのと時をほぼ同じくして、辺りには歓声が沸き起こる。
戦いはビクトールが予見したとおりの幕引きとなったようで。
戦場には生き残った敵軍兵が退却する姿と、戦いの疲れを忘れてしまったかのように喜び合う同胞の姿があちこちで見られ、は心底ほっとしたように息をついた。


「んじゃ、行くか」
「へ?」


その油断がいけなかったのか。否。
良かった、のだろうか。

何の抵抗もなく抱え上げられたの体は、ビクトールの両腕と胸元に支えられるように持ち上げられ。


「なななな何やってんのー!」
「何って、抱っこだろ」


それがいわゆるお姫様抱っこと呼ばれるスタイルだと彼女の頭が認識すると同時にじたばたと暴れ出す。
が、いくら暴れてみたところでたいした御利益は得られなかったようで。


「下ろしてよ、自分で歩けるってば」
「嘘つけ。あの状態で歩けるわきゃねえだろが」
「歩けるから。ってか、歩かせてください!」
「やなこった」
「何でよー!…って、うわ。血が…」
「馬鹿…!、ちょいと落ち着け!」


既に歩き始めているビクトールの腕の中で、地に足がつかない浮遊感に青くなったり触れ合った部分の感触に赤くなったりと力一杯頭に血を上らせた状態のは、当然治まるはずのない眩暈とじわりと染み出した血の味にこの上ない渋面を披露する。


「誰のせいで興奮してると思ってるのさ!」
「親切に運んでやってるおれのせいじゃないことは確かだな」
「だから、その運び方が嫌なんだってばー!」
「じゃ何か?荷物担ぎの方がいいってのか?」
「そっちの方がはるかにマシ」
「変なヤツ」
「変じゃない!」


無骨にしか見えない手が、実は優しく包み込むように抱え込んでくれていたり。
直接感じられる体温が、この上なく落ち着けるものだったり。

少なからず寄せている好意の分を隠すのに苦労するほど胸の内では嬉しい気持ちが充満しているなどとは、口が裂けても言うつもりはないようだが。


「こうなったら、お肉いっぱい食べて鉄分いーっぱい補給しなくちゃ」
「おうおう、そうしな」
「…?何で?」
「そしたらちっとは抱き心地も良くなんだろ」
「こっ…の…」


間違ってもビクトールに抱きかかえられることがないように、と。
素直になりきれないが持てる限りの皮肉を込めて発した悔し紛れの言葉が、ビクトールに一勝もできないまま捨て台詞に繋がるまであとわずか。


「変態オヤジー!!」


彼らのやり取りを目撃した同胞たちが寄せる笑いの渦の中心で、力はおろか口でも勝てなかったらしいの絶叫がどこまでも響き渡るのだった。


お題配布元:ドリーマーに100のお題